長崎県貿易協会上海代表処
伊藤忠繊維(上海)有限公司にて

《長崎県上海事務所にて》 《長崎県上海事務所にて》

1967年 長崎市出身 35歳
1985年 南山高校卒業
1989年 上智大学卒業後、伊藤忠商事株式会社入社大阪本社、福井支店、伊藤忠香港、金沢支店、福井支店(2回目)を経て、
2001年 4月伊藤忠繊維(上海)有限公司に配属。現在に至る。
趣味:ゴルフ、スノーボード、スキー
家族:妻、長女、長男は共に上海で生活。

?????「世界中を股にかけ、アタッシュケースを持って、飛行機のタラップから降りてくる」という商社マンの姿にあこがれていました(笑)。外に出るのが好きだし、外国を飛び回る仕事をしたかったんです。先進国ではない発展途上国を相手に貿易をやりたい、また成熟したものよりも今後発展していくものを開拓していきたいという気持ちがありました。そこで、可能性が多分にある商社を目指すようになったんです。
??????実際に就職活動をしてみると、商社勤務の大学OBが一番生き生きしているように感じましたね。そこでやはり商社しかないと思いました。なかでも、伊藤忠が一番風通しが良く、伊藤忠にいきたいと考えるようになりました。だからでしょうか、ある商社の面接では失敗してしまって???。「君は、『当社』を希望しているのか『商社』を希望しているのか?」との質問に、正直に「商社です」と答えてしまって(笑)。でも正直な気持ちでしたし、今でもこの答えは間違ってなかったと思っています。

??????96年4月~98年3月まで伊藤忠香港に配属されたのが最初の出会いでした。香港では様々な経験をすることが出来ました。ご存じの通り、香港は日本以上に商売のスピード、活気があり、全世界からの引き合いが集中している都市です。ここで自分の視野の狭さを認識しましたね。また、24時間仕事が舞い込んでくる。まさに24時間体制で仕事をしていました。大変でしたが、常に新鮮な気持ちで仕事ができましたね。
??????一番大きかったのは、社内でも厳しくて有名な上司に仕えたことです。香港駐在の2年で、3回「日本に帰れ!」と怒鳴られました(笑)。彼に「これからは中国だ!」と言われ「香港で北京語」の勉強を始めました。毎朝、出勤前の午前7時から9時まで、会社で80歳前の北京出身のおじいさんに北京語を習いました。その時は「どうして、香港で北京語を?」と疑問に思いましたが、時代の流れ上当然のことですし、今思えば、今回の上海駐在へのチャンスに結びついたんだと感じています。
??????また、97年の香港返還を目の当たりにすることができ、周りの騒動をよそに冷静な香港人を観察できたことや、香港で長女の出産に立ち会い「へその緒」を切ったことなど、日本では経験できないことも経験することができ、思い出もいっぱいです。

??????現在、織物の生産、販売拠点の立ち上げを行っています。そこで、日本と同レベルの商品を作っていこうとしている最中です。会社としては、2004年には全世界で対応できる製品が作れる体制に持っていく予定です。 ??????しかし、これには問題点もあります。協力相手となる中国の企業は、今の中国の好景気に甘んじていて、中国内での販売のみに満足し、なかなか日本レベルの製品を作ろうとはしないんです。ですから、こういった企業が大半を占める中で、いかに我々の要求にかなう中国企業を見つけていくか?ということが私の指名だと思っています。

??????いつも地図を見て思うのは、中国は広いということです。車で3~4時間移動しても、地図上では、何センチ、何ミリの世界。縮尺にもよりますけどね(笑)。人口も恐ろしく多い。この国が今後、消費国に変わったら、大変なことになるんじゃないかとワクワクしてきます。
??????仕事でのエピソード、苦労ですか?いっぱいありますよ(笑)。日本人と中国人の文化、感覚の違いが原因でしょうか、同じレベルで仕事の話ができないことが多いですね。例えば、私は繊維を扱っているので、生地の色のことで苦労します。微妙な色の違いが伝わらないんです。同じベージュでも、多くの種類があるのに、「違うじゃないか!」と言っても、彼らの答えはいつも「差不多(ほとんど同じ)!」なんです(笑)。この感覚の差を埋めるにはまだまだ時間がかかると思います。
??????でも、苦労ばかりでもありません。これも感覚の違いでしょうが、中国人の何事も「YES」から入る姿勢には感心させられますね。日本人なら、何か依頼をしたり、質問をしても「確認して、連絡します」と即答を避けますが、中国人はなんでも「可以、可以(OK、OK)」なんです(笑)。前向きに考える姿勢にはいつも脱帽します。今まで「できません」とか「無理です」という言葉は聞いたことがありません。もちろん、翌日には「やっぱりできません」と言われたり、まったく音沙汰がなくなったりして、信じた自分が馬鹿だったと思うこともしばしばですけどね(笑)。

片山 祐二(かたやま ゆうじ)氏 片山 祐二(かたやま ゆうじ)氏

??????長崎出身というのは自慢ですね。故郷としては大好きな街です。なんでも受け入れてくれる、懐が深いというイメージ。また、今の自分の基本を形成させてくれた街として、とても感謝しています。それは、公立高校受験に失敗して、反骨精神で一生懸命勉強できたこともそうです。おかげで、南山では卒業生の総代を務めさせていただきましたし。「負けてたまるか」という気持ちを植え付けさせてくれたところですね。
??????今すぐ帰ることはできませんが、いつかは長崎に帰りたいと思っています。

??????こと繊維、縫製業に関しては、空洞化の声が大きいですよね。これはグローバル化が進む今日、ある意味仕方がないことではないかと感じています。しかし、このまま空洞化を見過ごすわけにはいかないのも事実です。繊維に関して言えば、日本でしか作れないものと、日本ではもう作る必要のないものの棲み分けをはっきりさせていかねばなりません。まだ、日本でつくるべき商品はたくさんあると思うんです。ですから、日中に両方工場がある場合などは、しっかり棲み分けを行い、うまく中和を図っていかに日本の本工場に利益を持っていくかが肝要でしょうね。
??????中国は、WTOに加盟しましたが、まだ目立った展開はありません。今後の展開を見守る必要があるでしょうね。中国人の感覚では「果報は寝て待て」というところでしょうか。

??????今後も中国と関わった商売を続けていきたいですね。今後、中国が伸びていくことは自明の理ですから。そこに自分の名を刻めるような仕事をしていきたいと思っています。
??????メッセージとしては、家族に感謝を伝えたいですね。私は、商社の中でも多くの転勤を経験しているんですが、「新しい土地で暮らすこと」を不安ととらえず、「新しい経験ができる」と前向きに受け止めてくれる妻にはとても感謝しています。また、外国での生活にすんなり入ってくれる子供達にも感謝です。平日、土日問わず、出張などが多く、あまり家にいなくて迷惑をかけていますからね。これからも、幾度となく異動があると思いますが、片山家は「異動は家族全員で」が原則ですから(笑)、新しい土地でも家族全員で楽しみたいと思います。とにかく、旦那は仕事で苦労、家族はエンジョイ、それでいいじゃないかと思う今日この頃です(笑)。

上海国際貿易中心13階にある、伊藤忠繊維(上海)有限公司にて 上海国際貿易中心13階にある、伊藤忠繊維(上海)有限公司にて

 

 

 

 

 

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