プロフィール
1952年 島原市安中生まれ
1971年 長崎県立島原高等学校卒業
(高校時代は生徒会長を務め、レスリング部では団体で全国大会に出場)
1975年 西南学院大学法学部卒業
1975年 安田火災海上保険株式会社入社
1980年 中国北京の北京語言大学へ留学
(会社の中国語語学研修生第一期生として派遣留学)
1981年 安田火災海上保険(現損保ジャパン日本興亜)北京駐在員事務所
初代所長として4年間駐在
1988年 同社バンコク事務所に4年間駐在
1997年 同社上海事務所所長として5年間駐在
(2001年~2002上海日本人学校PTA会長)
2004年 河村電器産業株式会社に出向、その後同社へ転籍
同社中国事業推進室長
兼河村電器(中国)有限公司監事
現在に至る
その他の活動: 上海:長崎県人会長(2004年~)
東京:NPO中国留学生交流支援立志会副理事長
Q:中国に留学されたきっかけを教えて下さい。
A:1975年に安田火災海上保険株式会社へ入社後、最初は国内営業を担当しましたが、ずっと海外勤務を希望していました。1978年の日中平和友好条約締結後に同社が留学生を派遣して人材育成を図ることが決まり、第一期の語学研修生として北京語言学院(現在の北京語言大学)に留学しました。留学時代は、食堂のご飯の中に石ころやねずみの糞が混ざっている事もあるなど、食事や生活面に大変苦労しましたが、1980年代の北京で中国の学生や日本、諸外国の留学生達と、一緒に寮生活した事は非常に貴重な体験でした。
Q:その後の駐在員時代のことを教えて下さい。
A:語学研修が終わった1981年に同社の北京駐在員事務所が開設し、初代所長に任命されました。研修期間含め4年間北京に駐在した後、本社勤務を2回、その後タイバンコク駐在を経て、1997年から2002年まで上海事務所の首席代表として中国へ再赴任しました。
当時、北京での主な業務内容は、当時まだ、未発達の中国の保険業界との交流を通じて、保険技術交流や、経済発展へのリスクヘッジの考え方への相互交流発展が目的で、その一環として、リスク防災技術の研修生を日本へ定期的に受け入れる橋渡しをいたしました。
1997年から、上海勤務の時からは、中国へ多く進出している日系企業や、上海駐在の日本人の方々から、中国への投資財産へのリスクヘッジの保険問題や、安全な生活への相談を受けたり、出張、旅行で中国に来られたお客様が、突然の自動車事故遭遇や、病気などアクシデントに見舞われた場合のサポートの業務も行いました。
Q:現在の河村電器産業株式会社に転職されたきっかけは。
A:2004年に、中国へ進出し、工場建設直後、現地習慣やその後の事業経営などで悩みを抱えていた相談を、担当していた同僚支店長から相談され、アドバイスを行ったことがきっかけで、その会社(現勤務先)へ、お誘いを受け、出向支援することが決まり、その後、転籍しました。
私は損害保険会社勤務時に様々な企業様とお付き合いがありましたが、多くの日系企業の中でも、特に製造業、モノづくりをされている会社が、日本経済の強さを支えていると強く感じていました。
そこで、出向の話しをいただいた時、今までと同じ事をするより、自らの中国での経験を活かしながら、更に新しい経験ができるモノづくり企業での仕事に惹かれて、転職チャレンジすることに決めました。
現在の会社では中国事業推進室長として、新規の事業をする際の事業計画や会社設立事前、事後の法律問題の確認チェックや事業運営上で重要な人事、労務問題解決業務を主に行っています。中国のマーケットには独特の法規制がありますが、政府中央の法律とともに地方政府独自の条例、通知といった法規制やいわゆる行政裁量という中国固有の問題等があって複雑です。企業が健全に事業を発展させていくためには、他の諸外国同様、特に中国でも法務問題、リーガルチェック、法令順守が、過去もそうですが、今後益々重要だと考えています。
また、常日頃仕事現場では、中国語が話せない日本人駐在員と中国現地スタッフとの生活?文化?習慣による違いから来る理解間違い、意思疎通不測、感情のもつれを解消するための相互接着剤として働いています。
考え方の違いがあるのは当たり前、しかし、目的は共通であれば、相互の考えを別の角度からお互いに理解し、穴を埋めあってコミュニケーションを十分はかっていくことによって、相互の関係が円滑になっていくよう日々努めています。
Q:中国人スタッフの育成?管理で気をつけている事は。
A:中国人スタッフと「一緒に考えて、一緒に実行し、一緒に成長する」ということをキーワード&モットーとしています。皆さん同様に、中国でビジネスをやっていると、いい事よりも苦労することが多いですが、それを苦難と思うか、チャレンジ材料だと思って立ち向かっていくかどうかで、その後の結果が変わってくると思います。いつもそのような点を中国人スタッフはよく観察していて、前向きで信頼できる日本人か、常に勉強させてくれ常に将来自分にとって有益な指導をしてくれ、自分が知らない知識を教示してくれる上司かどうか判断していると長年自分の実感として感じます。
また、中国での留学時代に苦労した経験があり、中国語や中国人の考え方、文化を理解していることで、一般の中国人や自社のスタッフと素直に交流できるという点も、中国生活やビジネスの様々の場面で、良好な関係を築くことができた要因の一つだと思います。
そしてまた、私は、優秀な手塩にかけた部下が立派に成長し、或いは会社でしっかり教育訓練した中国人スタッフの思いがあって、転職を希望した際は、盛大な歓迎会を開き、「もし次の会社が合わなかったら戻ってこい。」と言って気持ちよく送り出しています。
そのように誠意を持って付き合うことで、退社後も良好な関係を築き、無給なのに辞めたわが社の困った時や、仕事を助けてくれたりして、実際に他社から更に豊富な別経験や知識を得て、また戻ってきたり、その後ビジネスパートナーとなったスタッフもいます。
鍛えて高くなった給料を支払い続けるより、他社へ行って、無給で手伝ってくれ、情報をくれる仲間が増えることは人材流失でなく、人材の社外確保です。
Q:モノづくりの現場で気をつけている事は。
A:私は技術者ではないので工場のラインや高度な技術的に詳細な点はわかりませんが、工場に行った際は必ず守衛所の警備員、会社の車の配車係りや、食堂。掃除のおばさんと極力会話をするようにしています。工場長等の管理者と話したり聞いたりするだけでなく、彼らと話すと会社全体や工場現場の現状がストレートに伝わってきて、よく把握できます。日本人で中国語を話せない派遣社員も多いので、また話せても夕方5時以降の歌謡付き夜間学校卒生?日本人と中国人との接着剤となれればと思っています。
そして勿論、モノつくりの現場で大切なことは“5S”であることは間違いありません!
Q:中国でのビジネスで注意すべき点は。
A:中国で売上げを増やすことは難しいことではありませんが、販売後に代金を回収できるかどうかが一番の問題です。売り上げ増加は大切ですが、代金回収に特に注意しながら、バランスをとりつつ徐々に増収して会社を発展させることが大事だと思います。
モノを買っても、代金支払いしないこの国の文化は未だ納得しません。
Q:社会貢献活動をされていると聞いていますが。
A:中国駐在時の先輩?友人?知人等と「NPO中国留学生交流支援立志会」を、10年前に東京で立ち上げ、副理事長として活動しています。この会は日本に高い志を持って留学してきた中国人留学生と交流し、政治的に関係が悪い中、若い日本と中国の若者の交流機会を増やし、将来的な日中の友好関係の架け橋となってもらうことを目的に、また、日本へ来た優秀な中国留学生さん達が、勉強以外に日本を深く理解し、安心して留学生活を送ることができるよう支援することを目的とする民間のNPO(ボランティア)組織です。
この会は全て会員の寄付で活動していますが、これからも自分のこれまでの経験を日中の若者の交流、日本と中国の相互理解の促進に少しでも生かせればと考えています。
反日運動でなく、半日自らの体を使って友好活動する半日運動家!です。(笑)
Q:上海長崎県人会の会長としても活躍いただいていますが。
A:約10年間、上海長崎県人会の会長を務めさせていただいており、長崎県から関係者皆様が上海を訪問された際に、現地(中国)事情を知る者として話しをさせていただくこともあります。
上海長崎県人会はただ同郷の長崎県に縁のある皆さんの友好を深めるためだけではなく、お互いの企業の情報交換や中国事情に精通した専門講師をお招きした講演等のセミナー勉強の機会もあり、県のご支援をいただき発足した別組織の長崎中国ビジネスのネットワーク組織と連携して機能しているのが他県にもない点だと思います。
Q:上海のおすすめスポットを教えて下さい。
A:上海には外灘?新天地などの観光スポットがありますが、私は宋慶齢博物館等のそれほど大きくない博物館を巡るのが好きです。虹橋路の西郊賓館のお庭散策などもお勧めです。
また、食事は1食30円から3万円まで(100倍の財布予算の中から)選べる多種多様なレストランがありますが、このような都市は世界でも他にないのではないかと思います。
Q:中国人におすすめしたい長崎のスポット、食べ物等を教えて下さい。
A:長崎の魅力は400年以上続く海外との交流の歴史で、これは他の日本の都市、地域に負けないと思います。また、長崎市内、県北、平戸、雲仙?島原半島など魅力的な観光地や中国にない新鮮な魚、野菜、果実???沢山ありますが、温泉と海、そして買い物が中国の方は大好きですから、キーワードかもしれませせん。
また、中国や香港、韓国といった東アジアとの近さというのは昔もこれからも変わらない強みなので、観光による誘客など色々な取組みができると思います。
実は、私も以前、中国から長崎への医療観光誘致に携わりましたが、その後、数グループが長崎(西諌早病院PET-CT診断等)に、医療観光に行っていると聞いて嬉しく思っています。
Q:最後に長崎の皆さんにメッセージをお願いします。
A:私は情熱と強い意志があれば、目的と事業は成功すると思っています。中国での事業に成功するためには、単純に儲けようと考えて他人頼みに取り組むのではなく、初めの調査段階で時間とお金をかけて、自分の足で現地をよく観察し、専門家のアドバイスを受けて取り組むことが大事だと思います。
また、毎年のように知事、副知事様をはじめ県幹部、商工団体など多くのご関係者皆様が上海はじめ中国を欠かさず訪問されている県は少ないと思いますので、心から敬意の念を持ちますとともに、今後も長崎県と中国との絆を大切にしてもらいたいと思います。
誠にありがとうございます。
これからもよろしくお願いいたします。
以上