宝広(上海)広告有限公司董事長 佐藤琢也(さとう たくや)氏 

佐藤琢也 氏 佐藤琢也 氏

プロフィール

1972年 長崎市生まれ

2000年 上海交通大学へ1年間中国語研修派遣、以降上海に駐在

2007年 宝広(上海)広告有限公司設立、総経理就任~現在に至る

趣味:カメラ、出張先での街歩き

Q:貴社に入社されたきっかけを教えてください

A:小さいころから美術やデザインなどが好きで、絵やイラストは結構描いてきました。デザイン専門学校を経て、関連ある業界で仕事したいと思い、地元にあった広告会社に入りました。しかし、中国で仕事をすることになるとは思ってはいませんでした。入社する前から、テレビ映像や旅行などで見た中国や香港の看板は本当に派手だなとか、おもしろいななどとは思うこともありましたが、その後、中国赴任の辞令が出て、中国に駐在しながら、自分がそれに関わることになるとは夢にも思っていませんでした。

Q:中国で仕事をされるきっかけは?

A:初めて中国へ渡ったのは2000年の上海交通大学での語学研修派遣です。その前年1999年には、私は当社の福岡支社で勤務していました。その年の暮れに、急に直属の上司から別室に呼ばれ、「来年2月から上海に行って中国語を勉強しないか」と言われました。上司の話によると、語学はあくまでも最初の取り掛かりであり、後の海外勤務もセットとしての話でした。

 当時は福岡で徐々に実績を出しつつあり、仕事が面白くなってきた時期だったので、一瞬「なんで?」と思いました。また、当時私は中国語が全くしゃべれませんでしたし、中国などへの異動希望は出したこともありませんでした。しかし、1回きりの人生なので海外で働くのも面白いと考え、結局は「行きます」と返事しました。

 翌2000年の2月から、上海へ赴任し、上海交通大学で1年間、みっちりと勉強しました。授業は午前中までだったので、午後からは、当時上海に設立したばかりの現地法人「宝広(上海)咨洵有限公司」(宝広告社設立のコンサル会社)の仕事を手伝いました。

Q:宝広告社および宝広(上海)広告有限公司の特徴を教えてください

A:宝広告社は1973年に佐世保市に設立され、日本全国と海外(アメリカ、中国)を展開範囲とする広告代理店です。刻々と変化するビジネスシーンとコミュニケーションスタイルに対応して、これまでの広告媒体にとらわれない的確な広告戦略とマーケティングでお客さんと共に発展を目指します。

 社訓は「業界の異端児であれ」です。日本には無数の広告代理店があり、九州、長崎県内にもたくさんあります。とにかく他社との差別化を図るということで、当時、グローバル化が進んできたこともあり、九州の広告代理店としては一番乗りの中国進出を果たしたのです。九州では今でも独資では唯一の中国進出だと思います。

 宝広(上海)広告有限公司は2007年7月に上海に設立された宝広告社の現地法人です。上海に先駆けて設立されていた「宝広(上海)咨洵有限公司」を発展統合させる形で誕生した広告代理店であり、私は設立時から総経理に就任しました。

 これまでの日本での私は、九州内の中小企業を相手に仕事をしていましたが、上海に来てからは、世界に名を知られるような有名企業を相手にすることになり、スケールの違いに当初は驚きました。

Q:ここ数年は、反日デモなどもありいろいろと影響を受けたのでは?

A:グローバル社会の進展に伴い、中国の現地法人設立以降は順調に売り上げを伸ばしてきました。2012年後半の日中関係がややこじれた際に、一旦売上が下がった時期もありましたが、翌2013年からは前年比倍増の勢いで、再び上昇を続けています。

Q:これまでの最も印象に残る仕事は何でしたか?

A:駐在して間もない頃に獲得した、日本の大手通信会社との仕事ですかね。日本人向けの国際電話の広告出稿をWEBと雑誌で行いました。大手の日系広告代理店との競争だったのですが、我々のような地方の中小企業に発注してくれました。「佐藤さんが熱心に通ってくれる。人間的に信頼できる。」と言ってもらい、大変嬉しかったのを覚えています

 中国でのお客さんは日系企業が多いのですが、中国系もあります。しかし、私のビジネススタイルは日本でも中国でも同じです。高い品質を保ち、相手に熱心、丁寧に説明することで、信頼をしてもらうように努力しています。

Q勢いがなくなってきたとも言われる中国市場ですが、どのようにお考えですか?

A:中国市場はまだまだ将来性があると思います。以前のような製造メインではなく、販売メインの仕事です。中国の人件費は高騰しており、以前のように安く製造することはできないでしょう。また、中国製品の品質も高くなってきており、日本製商品との差はだいぶ縮まってきていると感じます。

 我々の業界としては、中国市場へモノを売る日系企業がある限り、仕事は無くならないと考えます。日本企業の得意分野である環境技術、サービス関係などについては、いまだに日本のノウハウは重要です。

 私も大いに経験しましたが、外国に出てからのカルチャーショックや海外での苦労など、ぜひ長崎県の若者にも味わってもらいたいと思います。中国にいると、長崎で考えていたことがいかに狭い世界だったことがよく分かります。まずは一度、思い切って外に出てみることが重要です。

Q:上海のおすすめスポットを教えて下さい。

A:レストランでは、新天地近くの「蘭亭」の上海家庭料理はおいしです。いつも人が並んでいますよ。中でも、面拖黄魚(キグチのから揚げ)という料理は絶品ですね。人民広場近くの黄河路にある「佳家湯包」の小龍包も最高です。

 外灘もいいですよ。上海では有名な観光地ですが、私は特にその北側「北外灘」を散歩するのが好きです。租界時代のレトロな上海を感じさせるなど雰囲気がいいんです。私はたまにそこを散歩しながら気に入った風景を写真で撮ります。写真も好きです。

Q:中国人の観光客におすすめしたい長崎のスポット、食べ物等を教えて下さい。

A:九十九島の海はきれいですね。中国にはあのような青々とした海はあまりありません。また、内海で波が穏やかなので、そこでシーカヤックするのがおすすめです。穏やかで美しい青い海辺が手に届くところで見えるのは楽しいですよ。

 景色で言えば、川棚などからみる大村湾の夕陽も素晴らしいです。赤く染まる大村湾は幻想的な風景です。

?Q:中国で仕事をする上での心構えとしては?

A:中国においては、日本とは異なる商慣習があります。失敗しないためにも、日頃からいろいろな人の話をしっかり聞くことが大事です。人によって言うことは様々ですが、それまで自分の足で稼いだ情報や経験を基に考えると、おのずと判断もできるようになると思います。そのためにも、中国でできた人脈は大切にします。

 柔軟に対応すべきところは臨機応変に対応しながらも、自分のビジネススタイルは持つというところでしょうか。長崎県は昔から中国などアジアに近い特殊な土地柄です。長崎県人の強みを活かしながら、今後も頑張りたいと思います。


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